[1990年代の台湾] 扉の向こうに広がる居住空間はリビング中心

台湾の都市部では「都会の活気に目を奪われながらも、四方に目配りが必要」等でも記述してきたようにビルが林立している。また、マンションも同じように多い。

台湾人のお宅を訪問すると、開放的な間取りに感心し、台湾人気質を感じることができる。

台湾の人口密度は世界屈指

台湾の居住環境は劣悪なのか

台湾に行ったことがなかった頃でも、台湾の人口密度が高いことは社会の教科書にも載るほど有名であった。

おおよそ人口密度が高いと聞けば、生活環境が著しく悪く、さも生活しづらいに違いないと想像しがちである。

私も同類であったが、こと台湾に関しては単なる自分の思い込みであったことがわかった。

人口密度の高さの原因は、人々が利便性を求めた結果

大都市の近代的で快適な生活を求めて、人々が都会に押し寄せる。

通勤時間は短ければ短いほどいい。

手狭でも、会社に近い所に皆が住みたがる。

お陰で地価は暴騰する。

元々物件数の少ない一戸建ての値はますます釣り上がり、マイホームを夢見る人の多くはマンションの一戸も買えれば上等だと考える。

人口は横に広がれず、縦に伸びようとする結果、ビルが林立する。

台北の人口密度は世界的に有名なほど高くなるのも頷ける。他の都市もまたしかり。街の中心地にビルが密集して建つ。

屈指の人口密度を誇るマンションにお呼ばれする

一見、違和感ないが

マンションを訪ねる。

目的階でエレベーターを降りると、左右に伸びる長い通路沿いにドアがずらりと並ぶ。

何の変哲もなく、いたって普通。

だが、問題はドア前。

各戸ドア前に大量の靴がお出迎え

祖父母から孫の代まで、大小様々な靴が重なり合い、靴の片方がとんでもないほうに転がっていたり、靴底が上や横を向いてひっくり返っていたりして、通路に配列したドア前に乱雑に散らばる。

オープンで生活感に溢れてもいる

廊下の壁はコンクリートで、ドアは重厚感ある金属製である。

ただ、扉は開かれていることも多く、室内から人の話し声やテレビの音が通りすがりの耳に届き、視界の端には室内の人や物が映り込み、マンションにありがちな無機質な感覚を和らげている。

堅牢でもあり、機能的な二重扉

ドアは二重扉になっていて、金属製のドアの他にもう一枚扉が付く。

金属製の枠に網が張られた網戸の功能を備えたドアが蝿蚊を代表とする羽虫の侵入をしっかりと阻む。

その網戸ドアはしっかり鍵も掛かり、外から室内が丸見えでも侵入者をシャットアウトする。

特に蒸し暑い夏には生物の侵入を防ぎつつ風通しを良くできて誠に重宝。

また、知人を訪ねた折には、網越しに顔を覗かせ、チャイムを鳴らさずに気軽に声を掛けられる。

洋風の造りだが、靴は脱ぐ

室内に入ろうとドアを開けても、そこには玄関がない。

だからと言って、土足で室内に上がり込むわけではない。

なるほど、室内に入る前の、通路側のドア前を玄関として使うのである。

道理で何足もの靴が表にあったわけだ。

室内に入ると、家人と目が合う

室内に入ると、そこはソファにテレビが置かれたリビングである造りが多い。

すぐそこで知人の家人がソファでくつろぎテレビを見ていて、目が合ったりする。

日本なら家の玄関ドアからリビングまで、主人は客人を伴って、廊下を歩き、幾つもの扉を開けたりしながら、いろいろと手間がかかるが、台湾では全てが省略される。

このようにドアを開ければそこはリビングという間取りは既に普遍的である。

台湾の家はリビング中心

妻の実家は一戸建て二階家で、リビングは1階にも2階にもある。

二つのリビングにはテレビが置かれている。

テレビの前に座れば、リビングにいることになる。

リビングには自然と人が集まる

台湾でもテレビは手軽な娯楽であり、人気番組が始まると、家人がぞろぞろリビングに集まってくる。

同じ場所で同じ番組を見ているもの同志、連帯感が生まれ、自然と家族の会話も弾む。

家族重視の生活

台湾は人口密度が高く、高層住宅が多くて、たとえ家人全員に部屋が行き渡らなくても、リビングだけはある。

また、家族のコミュニティースペースをしっかり確保しているのは個人より家を重視しているからかも知れない。

リビングから台湾が見える

台湾人は、社交的な人が多く、客人をもてなすのが好きな人が多い。 入口ドアから気軽にのぞける開放的な位置といい、いつでも客人を歓待できる役割といい、リビングとは客人を暖かく迎え入れる台湾人社会の縮図のような空間なのかも知れない。