[1990年代の台湾] 信仰心厚き人々

台湾は宗教行事が多い。伝統を重んじているのだろう。つい先日終わったかと思うと、また巡ってくる。家庭でも商店や会社でも紙のお金(金紙)を燃やして、熱心に頭を下げる。そして、普段の日にも寺廟に行ってお参りをする。

宗教行事に合わせて生活しているとしか思えない。この信心深さが台湾人の優しさを生んでいるのかもしれない。

信仰は身近な存在

古くから存在する建物は赤色や朱色の暖色をふんだんに使いながらも、どっしりとした貫禄がある。

建物を支える柱や壁がどんなに硬い石材で組まれていても、そこにはえぐられ彫りの深い龍などの彫刻が今にも飛び出しそうに隆々と浮かび上がる。

縁日でもない平日さえ参拝客が絶えず訪れ、銘々に40センチは超える長い線香の束を捧げ持ち、顔といい、腕といい、線香や蝋燭の油煙に長年燻されて煤けた神仏の像にお辞儀を繰り返す。

腕を回しても抱え切れないほど大きな香炉には線香が隙間なくびっしりと立ち並び、そこからゆらゆらと立ち上る幾十筋もの香煙が境内にたち込める。

『廟』は規模の大小を問わず、境内には参拝客、廟の周辺には露店で賑わうことが多い。

生活と密着度が高い

家には神棚と仏壇を掛け合わせたような『神壇』があり、毎日のように線香をあげる。

また、ゆったりと椅子に腰掛け、来る日も来る日も数珠を爪繰る隠居の身のお年寄り達もいる。

子供達は手を合わせて熱心に拝む大人達の姿に度々接する生活を送れば、幼心にさえ知らず知らずに信仰心が芽生えよう。時々、数珠のブレスレットを手首に巻く学童の姿も見られる。アクセサリーというより魔除け代わりに身に着けることが多いらしい。

また、ごく少数ながら青少年の中には信仰の思いを長年暖めて、出家する者もいる。

拝礼の頻度が高い

拝礼は『拝拝』と言われ、神仏を拝する日が一ヶ月に2回は巡ってくる。

家庭では毎月1日と15日、商店では2日と16日(いずれも旧暦)で、廟へ足を運ぶ以外に、家の門前や店の軒先等の屋外(火気を伴うため)にテ-ブルを張り、供え物の鶏、豚肉、魚、果物、お菓子などを積み上げ、更に生米や酒を供え、そこに蛍火の線香を突き立てたり添えたり、傍らで金紙などを燃やして、家内安全や商売繁盛を願う。

また、廟へは信仰熱心な民衆が普段から縁起担ぎにぶらりと立ち寄る機会も多い。

正月(『新年』旧暦1月1日)、『端午節』(旧暦5月5日)、『中秋節』(旧暦8月15日)は、台湾の三大拝礼である。

それに毎月2回の恒例の拝礼が加わり、更に普段の拝礼も数えれば、台湾人は一年に何回拝むのだろうか。

旧暦7月は危険な月

旧暦7月は『鬼月』と言われ、注意深く過ごそうとする人が多い。何故なら、鬼月の到来と共に死霊を封じる扉が開き、霊達が一斉に下界へ繰り出す言い伝えがあるからである。

日本のお盆とは趣が異なる。

鬼月の一ヶ月間、夜間外出も控え気味になる。

人には霊が見えなくても、霊から人は丸見えである。いつ何時、纏わり付かれるか気が気でないが、外をさまよう霊は人がやってくると、空気のようにふわりと避けて通るそうである。

しかし、中には人の接近に気付かず、ぶつかるうっかり者もいるらしい。

そこで、人が外を出歩く際、特に暗所に差し掛かったら、霊に自分の存在を気付かせるために咳払いしながら歩く。

但し、同じ注意を引かせるのでも、口笛は霊が寄ってくるから逆効果であるらしい。

また、海や河川等の水辺も極力避ける。水に霊が潜んでいて水の事故になりかねないからである。確かにこの時期には、台風や激しい雨に見舞われやすく、理にかなっていると言えば、まさにそうではある。

旧暦7月はご先祖様も含めて霊達の大型連休でもあり、そんな月の拝礼には熱が一層籠もる。

宗教の自由

ホテルの引き出しにキリスト教のバイブルが入っていたり、駅や病院等の一角には仏教の本や冊子が置いてあったりする。

台湾は、信仰の自由が憲法で保障されている。 台湾には寺廟が多く、歴史を感じさせ、その独特な佇まいは常に目立つ存在であり、観光客の注意が向きやすいが、その実、台湾にはキリスト教信者も多い。

現在、台湾人も経済活動等に忙しくなり、伝統的な行事の簡略化が進みつつあるが、それでも寺廟で熱心にお参りする人々はまだまだ多い。