[1990年代の台湾] 私の夜市の歩き方

台湾の夜市は各地に散在していて身近な存在であり、いい思い出作りの場所の一つである。友人、親、子供、恋人、誰と一緒でも楽しめる場所であるが、売り物の種類が豊富である。

少額で充分に楽しめる夜市

大通りから路地一本入ったところに住んでいるので、多くの車が発する騒音から遮断されている。そして、歩いて5分ほどのところに夜市がある。

私は、毎日のようにポケットに100元をねじこんで、妻と屋台散策のデートをしていた。

家から夜市までの5分間の道程は、とても静かであるが、途中、屋台で買ったものを食べながら、楽しそうに歩いてくるカップルと擦れ違ったりする。

賑やかさと料理の種類の多さが目を楽しませてくれる

しばらく歩くと、縁日さながらに屋台が立ち並び、人出も賑やかな夜市に着く。派手な装飾の電光看板、裸電球が屋台脇の小さなテーブルや椅子を照らし、店主が忙しく動き回っている。

夜市の一角にはスーパーや映画館もあり、週末ともなるとそのエリア全体が更に賑やかになる。

夜市を歩くにつれて、ワンタン、ギョ-ザ、湯麺、肉マン、海鮮、串焼き、焼きトウモロコシ、焼きそば、寿司、うどん、ステ-キ、独特な匂いを放つ「臭豆腐」、売っているものが目まぐるしく変わっていく。

そして、あるところでは赤いペンキで「スッポン」と消えかかった日本語で書かれていたりもする。一昔前には、ここを訪れる日本人も多かったのだろうかと想像を膨らませる。

一度座れば良さや発見がある

私達はようやく屋台の一角の椅子に腰掛けた。今日は「担仔麺」を食べることにする。台湾の屋台は道路側の看板だけに気を取られ、屋台の後ろに多くの人が座って食べられるスペースが意外と広いことに気が付かないものだ。

「担仔麺」はいわゆる日本の「ラーメン」であるが、器は小さく、小腹を満たすサイズである。そこで、50元支払うと、所持金の半分が残る。

日本風の衣料雑貨が異国情緒に溢れている

そして、私達は又歩き出し、衣料や雑貨を見て回る。

衣料品の屋台では、ワニのマークのブランドで有名な「LACOSTE (ラコステ)」のジャージを見つけて、よくよく見ると、AとTが入れ変わって「LTCOSAE (ルトコサエ…?)」であったり、「となりのトトロ」のアニメが流行った頃にはネーム入りのTシャツを売っていて、これもよく見ると、「なりとのロトト」になっていたりする。

そうかと思えば、隣では「日本直輸入」と看板に掲げて、太字ゴシック体で「暖しり、洋ふとん」と不思議な日本語が印刷されたパッケージに入った組布団が売られている。

懐かしさで歩みが止まることもある

車と人混みの喧騒の中、妻の肩をつついて合図を送る。そうでもしなければ、車や人から出る雑多の音で、自分の声が通りにくくなっているからだ。

足を止めたのは、日本の演歌や歌謡曲、アニメの主題歌のカセットテープやCDを売る屋台の前であった。

最近の日本でどんな歌謡曲が流行っているか、屋台に行って覗けば大体わかる。数ヶ月間の遅れはあるが、新曲もやがてはこちらで聞くことができる。

また、日本国内では殆ど耳に入りもしなかった日本の歌が、台湾に来てから自然と耳に届くようになった。可笑しな話である。

夜市帰りの楽しみはアイスティー

麺も食べ、雑貨屋台を覗いて家路につく。喧騒から離脱して、ひっそりと静まり返った月が見える暗い夜道を妻と肩を並べて歩く。時々後ろから車が静かに走ってきて、振り向けば、遠くに音と光が屋台を取り囲んでいる。

しばらく歩くと、紅茶専門店があって一息つくのが日課である。私のポケットにはまだ50元が残っている。木製のテーブル席に着いて、妻が好む「緑茶」を注文する。これは妻の好みで、私もいつしかそればかりを飲んでいた。この「緑茶」は、いわゆる「ジャスミン茶」である。そのジャスミン茶に氷とガムシロップを加えて、シェークしてくれる。

目の前の緑茶からは、冷たく白い蒸気が立ち上る。飲み干す頃には夜の暑さがかなり和らぐ。

緑茶二人分で、丁度50元である。

明日は屋台で台湾ビールを手に「臭豆腐」でもつつくことにしようか。

今では、台湾は著作権を大切に保護しているので、コピー商品は見かけなくなりました。それでも、店内で流しているFM放送等からは日本語の歌が流れてくるので、寂しさを癒してくれるでしょう。