[1990年代の台湾] 街中ではティッシュ配りはありません

日本では街中を歩いていると、販促用のティッシュが配られ、それをもらうことも多い。しかも、バブル全盛期の頃は、ボールペンや新製品のお菓子すら街中で気前よく配られていた。私は、配られている物はもらう主義。しかし、それで台湾で恥をかくこともある。以下の話は台湾に来た当初の出来事である。

配布物はガム

足に任せて街を歩いていると、道端に佇む老婆が慣れた手つきでガムを二つ差し出した。試供品の配布!? 胸の前に出されると、自然と手が出てしまう。通りすがりに受け取り、その場を離れた。

すると、老婆が突然大声を張り上げた。驚いて振り返った。ものすごい形相に豹変した老婆が、一直線に私を指差す。にやにや笑う若者に、遠巻きに拱手傍観する者。周囲の目という目が私一人に注がれる。老婆は呆然と立ち尽くす私に向かって、猛然と口角泡を飛ばす。

しかし、昨日今日着いたばかりのよそ者の私にはさっぱり事情が呑み込めない。

えっ?お金もくれるの?

老婆は私より一回りも小柄なのに、有り余る迫力にパワ-。睨みつける鋭い目付きにカマキリのような細く尖った顔を真赤に上気させた老婆はお金を掌に乗せて、驚いて言葉を完全に失った私の胸にぐいぐいと押し付けてきた。

気が動転する私に救いの神が舞い降りた。突然、聞いても分からぬ老婆の発する台湾語の意味が分かってしまった。「どうしてあんた、この金取らぬか」。膝をポンと叩いて差し出されたお金に手を伸ばした。

一瞬のことだった。彼女の怒りに満ちた面構えは恐怖と驚きを二分したような顔付きに急変し顔を引きつらせた。

そう、私はとんでもない勘違いをしでかしたのだ。その後、彼女は烈火の如く怒り狂い、私はますます小さくなった。

わかったつもりが一番怖い

疲れか諦めか、ようやく彼女の怒りも鎮まり始めたのか、今度は、10元玉だけを掌に乗せてチラリと見せると、今度はすぐに拳をつくって引っ込めた。

『そうか!試供品ではなくて、売物だったのか』と、遅まきながら10元玉を一つ手渡し、逃げるように立ち去ろうとした。しかし、老婆は再び私の背中に向けて金切り声を上げた。誰がそんな事態を予測しえただろう。この時ばかりは心臓が止まってしまうほど唖然としてその場に凍てついた。

とどの詰まりは一つ十元。ガムを二つ手に持つ私は、20元差し出さねばならなかったのだ。二つも要らないと、恥ずかしいやら情けないやらで、慌てて老婆に近付き、ガムを一つ返し、顔を真赤にして、流れる人波に体を押し込めた。

きれいなバラにはとげがある

ガムを売るのはお年寄りだけではない。子供の姿も見掛ける。いつだったか、妻と大衆食堂で食事をしていたときに、ガムを手にした少女に付き纏われたことがあった。微笑の可愛い子ではあったが、老婆に得た教訓を胸に、取り合わなかった。すると、笑顔はあっと言う間に消え失せて「人でなし!」と捨て台詞を吐かれる始末。

傍らにいる妻の「ニセもいるのよ。」と言うアドバイスもあっての結末でもあったが、あの後少女はどうしたことやら。

西洋の寓話『マッチ売りの少女』では、意地悪な継母が待ち構える家へは遂に帰らずに…。でも、買ってくれない人に対して、確か罵声は浴びせなかったはずだが…。

明暗が混在する街角

一昔前の話であるし、事の真偽もはっきりしない話で恐縮だが、以前子供を専門に狙う誘拐集団が暗躍していたそうだ。規模や組織数、今も策動しているのかも定かでない。誘拐された子供は手足を切断された上で、物乞いをさせられる。そこから上がる金品は悪漢達の懐へ落ちる。

彼らの袖や裾からは手足が覗くことは一生涯ないだろう。 街で手足の無い物乞いを見掛けると、どうしても誘拐集団の話が脳裏に蘇る。

現在、台湾の街中を歩いていても、物売りの姿はほとんど見かけなかったし、物乞いもかなり減ったと思われます。台湾には慈悲深い優しい人が多いので、何らかの援助などがあったのかもしれまれん。