[1990年代の台湾] 台湾の道路状況

台湾の都市部の空気は汚れている。バイクの台数が多く、ラッシュアワーの回数も多いので、自然の力の浄化では間に合わない。それでも、台風の翌日には清々しいと思えることもある。

朝から昼まで排ガスに晒される

朝の街は、何かとせわしない。人々が学校や会社へと急ぐ。オ-トバイや車で道が溢れかえり、あちこちでクラクションが鳴り響く。道路は隙間がないほどひしめいている。僅かな隙間を見つけて車両が割り込む。

会社や業種によって出勤時間にかなりの開きがある。工場は8時から9時までの間に始業するところが多く、小売業ではほとんどが11時に開店する。心掛けずとも、時間差通勤をしているのと同じ。そんな始業時間のズレによってか、ラッシュアワーも長めになり、その間、街は排ガスに晒され続ける。

夕方は退勤者の一斉移動

ぎらぎらと陽光が降り注ぐ昼を過ぎ、日差しが西空にぐっと傾けば夕方だ。終業時間が近付くと、我先に帰り支度を整えてそわそわし出す。そして、終業ベルが鳴ると同時に社内の照明が一斉に消され、先を競ってオフィスや工場を飛び出す。残業するより、一分たりとも自分の時間は無駄にしたくない。中には終業の合図を待たずに会社の駐車場に向かって駆け出す社員もいる。

排ガスは朝から蓄積された上に、夕方のラッシュで更に積み増しされることになる。しかも、台湾では排ガス規制や厳格な車検もないので、信じられないくらいもくもくと黒煙を吐き出すトラックがあったりする。

帰宅する頃には洋服に排ガスの臭いが染み付くほど。長時間、外にいれば気分が悪くなることさえあり、街全体が曇ってみえることもある。

夜もまた来るラッシュ

夕方ラッシュが過ぎた頃、街は幾らか落ち着きを取り戻したと思うのもつかの間で、19時か20時前後に、今度は恋人や夫婦、家族連れが食事や娯楽に街へやってくる。

そして、22時頃になると、再びラッシュがやってくる。一日の終わりを告げるこのラッシュもまた凄まじい。それまでデパートや商店にいた従業員や買い物客が閉店と共に街に吐き出され、車やバイクのエンジンを吹かす。更に、夜間部の学生達もそれに加わり、バイクの排煙を巻き散らす。

収拾のつかないほどの混雑振りに、街のそこかしこは瞬く間に喧騒と排気ガスに包まれる。まるで街全体がいっぺんに眠りから覚めたよう。

台湾の夜が賑やかなのは、夜遅くまで営業する商店と、夜のラッシュも関係するのだろう。

毎日、入れ替わりのなさそうな街の空気

前述のように台湾では休む間もないほど、一日に多くのラッシュがやってくる。そして、その全てが過ぎた深夜になれば交通量が減り、ようやく空気が澄んでくるに違いないと思う頃には、再び朝のラッシュアワーがやってくる。これではどんな自然の浄化機能も太刀打ちできそうにない。

台湾の空気汚染はもはや慢性的で、どんな策を講じたところで改善は難しいだろうと大半の住民は溜め息交じりに話す。

麗しの島を取り戻すのは当分先になりそうだ

1544年に緑豊かな台湾を目の当りにしたポルトガル人が思わず「麗しの島」と口々に絶賛したらしいが、誰が現在のような姿に変貌すると予測しえたであろう。

私は郊外の山の上から台中市を見下ろしたことがある。三十階くらいの高層ビルまでスモッグに呑み込まれていて、再び市内に戻るのが怖くなるくらいであった。

また、日本から台湾に戻ってくる度に、鼻毛の伸びが異様に早くなることに気付く。汚染した空気を察して体内の防御システムが働くのだろうか。 但し、例外もある。台湾にはよく台風がやってくるが、台風一過にはさすがに空気が澄んでいる。

現在は、昔と比べると車やスクーターの性能が向上したのか、排ガスは少なくなったような気がしますが、それと入れ替わるように中国からPM2.5が流れてくるようで、難儀しているようです。