[1990年代の台湾] 台湾は社長が多い

台中から台北や国際空港へ向かうバスに乗り込む。台中駅前から高速道までのおよそ30分間、車窓から見えるものは建物と看板。商店がどこまでもほとんど途切れることなく続く。大通りから左右に伸びる路地裏にまである。夥しい数の商店があるだけ夥しい人数の経営者もいることになる。

特色ある会社経営の実態が職業観に影響を及ぼす

実際に台湾社会で生活すると、社長と知り合う機会が多いのに気付く。

明らかに社長の絶対数は日本のそれを遙かに凌ぐと思われるのは、台湾社会では零細企業や中小企業が多く、大企業が育ちにくいのだろう。

高校や大学を卒業する学生の中には、家業を継いだり起業したりする者がいて、彼らはいずれ社長になる。それ以外の一般的な学生の場合、多くが就職していくが、やがては仕事を覚えて、独立して社長になる。

何故、社長になるのにわざわざ独立するのだろうか。

台湾には家族経営の同族会社が多い。経営形態としては好ましく思わないかもしれないが、家族を大切にするという台湾人の良さも出ていると思う。

但し、従業員にとっては、次期社長が既に決まっている会社でどんなに頑張っても無駄であるということらしい。

台湾人の夢が台湾に活力を与え、台湾の魅力を輝かせる

現在は雇われ従業員であるという人と話していると、仕事を覚えて、あと数年したら独立するという趣旨の話をよく聞かされる。会社への忠誠心はあまり聞かれず、会社は彼らのキャリアを積む自己実現の場になっているようである。

果たして彼らはドライであるのだろうか。

多くの台湾の若者には夢があり、その先に社長というポストがあり、家族という背景があるのだろう。

夢があるから、台湾が元気になり、そんな活力ある台湾に魅力を感じる外国人も多いのだろうと思う。

現在、台湾の経済活動はかつてほどの活況を呈していません。若者は夢を追うより、現実を見ているようで、堅実な職業を選ぶ傾向が強くなっているような気がします。